大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

鳥取地方裁判所倉吉支部 昭和48年(ワ)37号 判決 1980年6月24日

原告

板倉松子

ほか七名

被告

日本通運株式会社

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告ら)

一  被告は

1 原告板倉松子に対し、金四、三六二、九三六円及びうち金三、九六六、三〇六円に対する昭和四五年一〇月一日から支払済まで年五分の割合の金員

2 原告光岡喜久代に対し、金五、九七五、八七四円及びうち金五、四三二、六一三円に対する同日から支払済まで年五分の割合の金員

3 原告河本栄子、同徳田博司に対し、各金二〇、四五五、八三九円及びうち金一八、五九六、二一八円に対する同日から支払済までの年五分の割合の金員

4 原告森和子に対し金二一、一八六、六二三円及びうち金一九、二六〇、五六七円に対する同日から支払済まで年五分の割合の金員

5 原告森悦子、同森橋笑子、同森映子に対し、各金一四、三〇七、七四八円及びうち金一三、〇〇七、〇四四円に対する同日から支払済まで年五分の割合の金員

を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言。

(被告)

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  事故(以下「本件事故」という。)

昭和四五年九月一二日午後三時ころ、鳥取県東伯郡赤崎町大字別所字曲坂上一三六の一番地先の国道九号線上において、西進中の勝部幸夫運転の大型貨物自動車(以下「勝部車」という。)と、対向方向から進行してきた板倉定雄運転の普通乗用自動車(以下「板倉車」という。)とが衝突し、その衝激による負傷のため、右板倉は同日、板倉車に同乗していた徳田泰次郎及び森松太郎は翌日いずれも死亡した。

(二)  責任原因

被告会社は勝部車を所有し、自己のために運行の用に供していたものである。

(三)  損害

1 亡板倉定雄の死亡による損害

(1) 逸失利益 金七、八九八、九二〇円

亡板倉定雄は明治四四年二月一五日生れで本件事故当時満五九歳であつた。同人は昭和二七年一〇月一日日ノ丸産業株式会社設立と同時に入社し、昭和三六年定年退職した後、引続き同会社に嘱託として勤務して、死亡時に給料月額四五、〇〇〇円を得、昭和四五年六月には一三八、〇〇〇円の賞与を受けているが、賞与は毎年六月、一二月の二回に支給され、基本給によつてその額を定め、毎年一二月に支給される分は六月に支給される分に比し三割余り多いので、同人が生存していれば同年一二月に一七九、〇〇〇円以上の賞与を受けた筈である。そうすれば同人の昭和和四五年中に受けるべき賞与額は三一七、〇〇〇円となる。

同会社には右板倉死亡当時、同人より一カ月後れの明治四四年三月一五日生れの訴外米田幸重が嘱託として勤務し、昭和五二年三月に満六六歳を迎えたので、同月末をもつて退社したが、同人は本件事故当時月額四〇、五〇〇円の給料を得、同年中に年額二九〇、四〇〇円の賞与を受けたが、その後退社までの間別紙「米田幸重の給料および賞与額」、別表(一)のとおりの給料、賞与を受けた。

亡板倉が本件事故に遭わなければ、右訴外人と同じく満六六歳に達する昭和五二年二月末日まで右会社に勤務し、昭和四六年以降退職までの間、同訴外人が受けた給料並びに賞与の額を超える給料と賞与を得た筈であつて、その所得額はすくなくも別表(二)記載の金額となる。

そこで、亡板倉の生活費を昭和四六年九月三〇日までは一カ月二〇、〇〇〇円、同年一〇月一日以降昭和四八年九月三〇日までは一カ月二五、〇〇〇円、同年一〇月一日より退職までは一カ月三〇、〇〇〇円として右所得から控除し、昭和四五年一〇月一日から昭和五二年二月末日までの純所得額の昭和四五年一〇月一日の現価をホフマン式によつて年五分の中間利息を控除して算出すれば別表(三)のとおり三、七八一、七三七円となる。

次に同人は、満六六歳まで勤務した場合その給料はすくなくも右米田幸重の最終給料額月額七六、〇〇〇円となり、嘱託としての勤続年数は満一六年となるので、右会社の退職金規定によつて基本給の二五・六倍の退職金が支給されることとなり、その額は一、九四五、六〇〇円となるが、支給時期は昭和五二年二月末日となるので、年五分の中間利息を控除した死亡時の現価をホフマン式によつて算出すれば次のとおり一、四四一、一八三円となるところ、死亡時に三二四、〇〇〇円の退職金を支給された(嘱託としての在職期間が九年で、当時の基本給三六、〇〇〇円の九倍の額)ので、その差額一、一一七、一八三円が退職金の逸失利益となる。

1,945,600円×0.74074=1,441.183円

なお、亡板倉は右会社に勤務する以前である、昭和一九年四月に労働者保険法の保険に加入し、昭和二九年五月に同法が全面改正されて厚生年金保険法となつてからも引続き同保険に加入し、昭和四五年九月の本件事故当時までの通算加入期間が三一七カ月となり、厚生年金保険法第三四条一項二号の被保険者であつた全期間の平均標準報酬月額の総額は、六、七五七、一七二円となつて、原告板倉松子は年額九七、一八六円の遺族年金の給付を受けることとなり、その額は昭和四六年一一月より一〇六、六九六円に増額改定された。亡板倉が本件事故に遭わなければ、右のように満六六歳まで勤務し、昭和五二年二月に退職することとなるので、その加入期間は三九四カ月となり、同人が受けるべき老齢年金の年額は九二五、五七一円(別紙「亡板倉定雄老齢年金計算表」のとおり)となるが、昭和五〇年簡易生命表によれば満五九歳の日本人男子の平均余命は一八、一八歳であるから、右老齢年金額から原告板倉松子が受給している遺族年金額を控除した八一八、八七五円の一一年間(右余命から受給開始時までの七年を除く)の総額九、〇〇七、六二五円の右死亡時の現価をホフマン式によつて算出すれば

9,007,625円×0.64516×0.74074=4,304,706円

となり、四、三〇四、七〇六円の得べかりし利益を失うこととなるが、右遺族年金が増額されることが考えられるので、そのうち三、〇〇〇、〇〇〇円を亡板倉の老齢年金の逸失利益とし、同人の右逸失利益を合算すれば、七、八九八、九二〇円となる。

(2) 亡板倉定雄が本件事故によつて受けるべき慰藉料は、同人が一家の主柱として家族の生計を支えていたこと、事故の態様その他の事情を参酌して三〇〇万円とするのが相当である。

(3) そうすれば、亡板倉定雄の損害は右逸失利益七、八九八、九二〇円と慰藉料三〇〇万円を合算した一〇、八九八、九二〇円となるが、同人の死亡によつて自賠責保険金五〇〇万円の給付を受けたので、五、八九八、九二〇円が被告に請求すべき同人の損害額となる。

2 亡徳田泰次郎の死亡による損害

(1) 逸失利益 金三六、一九二、四三六円

亡徳田泰次郎は、明治二九年一一月三日生れで本件事故当時満七三歳であつたが、日ノ丸産業株式会社の取締役社長として常勤していた他、日ノ丸証券株式会社取締役会長、日本海テレビジヨン放送株式会社取締役、株式会社日ノ丸総本社相談役等を兼職してそれぞれ報酬を受け、昭和四四年度の所得額は三、九二四、四〇〇円を超えており、そのうち日ノ丸産業株式会社の報酬は月額一九〇、〇〇〇円で、同年の一二月一日に月額二三〇、〇〇〇円に増報され、同年度の年間賞与額は一、五九〇、〇〇〇円で、その他の右三社の役員として死亡当時に受けた報酬、賞与は年額三四〇、〇〇〇円を超えていた。

本件事故当時日ノ丸産業株式会社には訴外御船剛が副社長として常勤し、右の徳田社長死亡後、後任社長に就任したが、同人は右徳田より約三カ月後れの明治三〇年一月二五日生れで、昭和五一年まで社長、引続き取締役会長として常勤して現在に至つており、その役員報酬および賞与の額は別紙「御船剛報酬および賞与額」、別表(四)のとおりである。亡徳田は本件事故当時満七三歳で、昭和五〇年簡易生命表によればその平均余命は八・八九年であるが、生来極めて健康で本件事故に遭わなければ現在右御船と同様に右会社に常勤して、昭和四五年一〇月一日以降(死亡時は御船の報酬月額二二〇、〇〇〇円であつたが、亡徳田のそれは二三〇、〇〇〇円)すくなくも同人と同額の報酬および賞与を得、日本海テレビジヨン放送株式会社その他の前記の役職を兼ねて死亡時以上の報酬、賞与を得たことは明らかであり、その昭和五二年九月三〇日までの所得額は別表(五)のとおりとなる。

そこで、亡徳田の生活費を昭和四七年九月三〇日までは一カ月一〇万円、同年一〇月以降一年間は一カ月一二万円、昭和四八年一〇月一日以降昭和五二年九月三〇日までは一カ月一五万円として右所得額から控除し、昭和四五年一〇月一日から昭和五二年九月三〇日までの純所得額の昭和四五年一〇月一日の現価をホフマン式によつて年五分の中間利息を控除して算出すれば別表(六)のとおり三六、一九二、四三六円となる。

(2) 亡徳田泰次郎は老齢ながら一家の主柱としてその生計を支えていたうえ、鳥取市において実業界その他に重きをなしていたもので、その社会的地位その他事故の態様等諸般の事情を考量して、本件事故による同人の慰藉料額は三〇〇万円を相当とする。

(3) そうすれば、亡徳田泰次郎の損害は、逸失利益三六、一九二、四三六円と慰藉料三〇〇万円を合算した三九、一九二、四三六円となり、自賠責保険金五〇〇万円の給付を受けているので、被告に請求すべき損害額は三四、一九二、四三六円となる。

3 亡森松太郎の損害

(1) 逸失利益

亡森松太郎は訴外日ノ丸産業株式会社の常務取締役として常勤し、死亡時報酬月額一五万円の他毎年六月、一二月の二回に賞与を受け、その額は昭和四四年六月に四六五、〇〇〇円、同年一二月に五四〇、〇〇〇円、昭和四五年六月に六三〇、〇〇〇円で、一二月分は六月分に比し一割五分以上多いのを例とし、同人が右事故に遭うことなく勤務していれば、昭和四五年一二月には七〇〇、〇〇〇円以上の賞与を受けており(当時同人と共に同会社の常務取締役として勤務していた訴外徳田博司は月額報酬一二万円で昭和四五年中に一一二万円の賞与を受けている)、同人はその他訴外日栄石油株式会社の監査役として年間三五、〇〇〇円以上の報酬、賞与を得ていたので、同人の昭和四五年の年間所得額は三、一六五、〇〇〇円以上であつた。

本件事故当時日ノ丸産業株式会社には訴外徳田博司が亡森松太郎と共に常務取締役として常勤し、本件事故当時森の報酬が月額一五万円であつたのに比し同訴外人のそれは月額一二万円で、その増報の時期、金額、賞与額等は別表(七)別紙「徳田博司所得額」のとおりで、亡森が本件事故に遭わなければ引続き右会社に勤務して右訴外人以上の報酬、賞与を受け、同人に先んじて専務取締役に就任して現在に至つている筈で、その所得額は右別紙記載の金額を下ることはなく、亡森は大正九年九月一八日生れで事故当時満四九歳で前記簡易生命表によれば、その余命は二六・四六年あり、生来健康であつたので、常勤役員として満七〇歳までなお二〇年勤務し、逐年その収入が増えることは明かで、昭和五二年九月三〇日までの所得は別紙「亡森松太郎所得計算表」のとおりであるが、同年一〇月一日以降の所得を、昭和五二年九月三〇日までの一年間の報酬額五、四〇〇、〇〇〇円と、賞与年額については年度によつて多少の増減があるので、昭和四九年一〇月一日以降三年間の平均年額二、〇五〇、〇〇〇円の合算額七、四五〇、〇〇〇円とし、生活費を昭和四七年九月三〇日まで一カ月八〇、〇〇〇円、昭和四九年九月三〇日まで一カ月一〇〇、〇〇〇円、同年一〇月一日以降一カ月一五〇、〇〇〇円として、死亡時から満二〇年後の退職時までの同人の純所得額をホフマン式によつて年五分の中間利息を控除した昭和四五年一〇月一日の現価を算出すれば、別表(八)のとおり五三、七八一、七〇二円となる。

(2) 慰藉料 金三〇〇万円

右事故によつて死亡した亡森松太郎の慰藉料額は諸般の事情を参酌して三〇〇万円を相当とする。

(3) 本件事故による亡森松太郎の損害につき、自賠責保険金五〇〇万円の給付を受けたので、同人の右損害額合計五六、七八一、七〇二円からその金額を控除し残額五一、七八一、七〇二円が昭和四五年一〇月一日現価の損害額となる。

(四)  相続

原告板倉松子は亡板倉定雄の妻として、同光岡喜久代はその子として、原告河本栄子、同徳田博司はいずれも亡徳田泰次郎の子として、原告森和子は亡森松太郎の妻として、同森悦子、同森橋笑子、同森映子はいずれもその子として、それぞれ前記損害に関する賠償請求権を法定の相続分に応じて承継取得し、その額は次のとおりである。

原告 板倉松子 金一、九六六、三〇六円

同 光岡喜久代 金三、九三二、六一三円

同 河本栄子 金一七、〇九六、二一八円

同 徳田博司 金一七、〇九六、二一八円

同 森和子 金一七、二六〇、五六七円

同 森悦子 金一一、五〇七、〇四四円

同 森橋笑子 金一一、五〇七、〇四四円

同 森映子 金一一、五〇七、〇四四円

(五)  原告らの慰藉料

原告らはいずれも夫又は父に当る一家の支柱を不慮の事故によつて失い、精神上の打撃は筆舌に尽し難く、夫々の受けるべき慰藉料は次の額を相当とする。

原告 板倉松子 金二〇〇万円

同 光岡喜久代 金一五〇万円

同 河本栄子 金一五〇万円

同 徳田博司 金一五〇万円

同 森和子 金二〇〇万円

同 森悦子 金一五〇万円

同 森橋笑子 金一五〇万円

同 森映子 金一五〇万円

(六)  弁護士費用

被告は本件事故が亡板倉定雄の過失によつて発生した旨主張し、原告らの請求を全面的に争うので、原告らは本件訴訟代理人に訴訟を委任し、いずれも損害額の一割を報酬として支払うことを約したので、その額は各原告につき次のとおりとなる。

原告 板倉松子分 金三九六、六三〇円

同 光岡喜久代分 金五四三、二六一円

同 河本栄子分 金一、八五九、六二一円

同 徳田博司分 金一、八五九、六二一円

同 森和子分 金一、九二六、〇五六円

同 森悦子分 金一、三〇〇、七〇四円

同 森橋笑子分 金一、三〇〇、七〇四円

同 森映子分 金一、三〇〇、七〇四円

(七)  そこで原告らは被告に対し、それぞれの前記債権の合算額と遅延損害金を次のとおり請求する。

1 原告板倉松子は四、三六二、九三六円及びうち弁護士費用を除く三、九六六、三〇六円に対する不法行為後である昭和四五年一〇月一日から支払済まで民事法定利率年五分の割合の遅延損害金

2 原告光岡喜久代は五、九七五、八七四円及びそのうち弁護士費用を除く五、四三二、六一三円に対する右同日から支払済まで同率の遅延損害金

3 原告河本栄子、同徳田博司は各々二〇、四五五、八三九円及びそのうち弁護士費用を除く一八、五九六、二一八円に対する右同日から支払済まで同率の遅延損害金

4 原告森和子は二一、一八六、六二三円及びそのうち弁護士費用を除く一九、二六〇、五六七円に対する右同日から支払済まで同率の遅延損害金

5 原告森悦子、同森橋笑子、同森映子らはいずれも一四、三〇七、七四八円及びそのうち弁護士費用を除く一三、〇〇七、〇四四円に対する右同日から支払済まで同率の遅延損害金

二  請求原因に対する被告の答弁

(一)  請求原因(一)、(二)の事実は認める。

(二)  同(三)の事実中、亡徳田泰次郎、同森松太郎について自賠責保険金が各五〇〇万円支払われている点は認めるが、その余はすべて争う。

三  抗弁

(一)  勝部幸夫は、本件事故当時、道路左側を、中央線と道路左端との間の中央よりやや左によつて時速四八キロメートルで西進中、突然、時速約五五キロメートルで東進中の板倉車が中央線を越えて対向車線に進入してきたので、直ちに急停車の措置をとつたが及ばず、勝部車の右前部と板倉車の前部が衝突したものであつて、本件事故は板倉定雄の過失に基づくものであり、被告会社及び勝部幸夫は勝部車の運行に関し注意を怠らなかつたものである。

(二)  また、勝部車には構造上の欠陥または機能の障害はなかつた。

四  抗弁に対する原告らの答弁

抗弁(一)の事実は否認する。本件事故は勝部車が中央線を越えて対向車線(板倉車線)に侵入したために発生したものである。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  請求原因(一)及び(二)の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで抗弁について判断する。

(一)  成立に争いのない甲第三号証の一ないし八、第七号証の一、二、第八及び第九号証の各一、第一〇号証の一、二、甲第一七号証の一ないし一〇、第二〇号証、乙第一〇号証、第一一号証、第一四号証、第一五号証、第二〇ないし第二二号証、証人江守一郎の証言及び鑑定の結果によれば、次の各事実が認められる。

1  本件事故が発生した場所は、おおむね西から東へ向つてやや下り勾配の平たんなアスフアルト舗装道路で、見通しは良く、自動車の交通量は普通であつて、幅員は八・三メートル、道路中央に中央線が設けられ、道路北側は側溝をはさんで切り割り土手があり、南側はやはり側溝をはさんで国鉄山陰線線路脇の雑草の生えた国鉄用地で、道路面よりかなり高くなつている。

2  勝部車は全幅二・四九メートル、全長九・八一メートル、本件事故時の総重量(積載荷重を含む)は一五・七三トンの大型冷凍車であり、板倉車は全幅一・六九五メートル、全長四・六三五メートルの普通乗用自動車である。

3  本件事故当時、勝部車の後方約一〇〇メートルのところを同車に追従して西進中の自動車の運転者は、勝部車が中央線と南側の外側線のほぼ中央を進行中、大音響とともに急に左右に振動し、その直後に中央線を右に割つて道路右側に突進するのを目撃した。

4  又、板倉車の前方約一〇〇メートルのところを東進中の自動車の運転者は、勝部車と中央線をはさんで正常な形ですれ違つてから一、二秒後に大音響を聞いた。

5  東進中の板倉車は本件事故前の一分間時速五〇キロメートルから六〇キロメートルの速度で進行し、衝突時の速度は時速約五五キロメートルで加速中であり、急制動の措置がとられていないのに対し、西進中の勝部車は本件事故前の一分間時速五〇キロメートル前後の速度で進行し、衝突時の速度は時速約三〇ないし三六キロメートルで減速中であり、急制動の措置がとられている。

6  板倉車前部中央やや右に、勝部車右前輪タイヤが衝突したが、板倉車は回転せず、勝部車は、衝突の衝撃により制動、操舵機構を破壊されブレーキ、ハンドルとも機能を喪失し、板倉車を押し戻す形で右斜め前方に約二四メートル進行し、道路北側の切り割り土手に板倉車を押しつけた形で停止した。

7  勝部車の停止位置から約二三メートル東寄りの、勝部車線の中央部よりやや中央線寄りの場所に、長さ約五二センチメートル、幅約五センチメートルの明瞭な擦過痕が残されていたが、勝部車には路面を擦過するような破損がないのに対し、板倉車右前輪付近の破損部分は路面を擦過した可能性がある。

(二)  以上の事実を総合すると、板倉車と勝部車の衝突位置は勝部車線上であり、板倉車が中央線を越えて対向車線に侵入し、勝部車に衝突したことを推認することができる。

もつとも証人松原十三生、同安藤信夫の各証言及び同証言により真正に成立したと認められる甲第二五号証の一、第二六号証、第三二号証によれば、板倉車が中央線を越えて右斜めに進行し、直進する勝部車と衝突した場合、板倉車は時計方向の回転運動を起こすのに対し、勝部車が中央線を越えて右斜めに進行し、直進する板倉車と衝突した場合、板倉車は反時計方向に回転するか、一定の衝突角度のときは回転せず、勝部車にそのまま押し込まれることになることが認められるが、このことは次の理由により前記推認を妨げるものでなく、他に右推認を覆えすに足りる証拠はない。即ち、証人江守一郎の証言及び鑑定の結果によれば、板倉車が相対的に左へ五度程度回頭した形で勝部車に衝突した場合、板倉車は回転せず、勝部車の右前部に喰い込んだ状態で勝部車に押し戻され、勝部車は右斜め前方に向つて進行することになることが認められ、前記証人松原十三生の証言中にも相対的な衝突角度によつては板倉車が回転しないことがある旨の部分があることからも、右斜めに進行する勝部車と直進する板倉車が衝突した場合だけでなく、直進する勝部車と左斜めに進行する板倉車が衝突した場合にも、一定の衝突角度のときは、板倉車は回転運動を起こさないと考えられる。そして証人江守一郎の証言によれば、走行中の自動車が衝突直前に五度程度回頭したことを目撃者が認識できないことも十分ありうることが認められるので、板倉車の左回頭に関する目撃証拠がないからといつて、板倉車が衝突直前に左へ五度程度回頭した可能性を否定することはできず、むしろ以上の全証拠からみて、板倉車は対向車線に侵入した後、勝部車との衝突直前に、わずかに自車線方向(左)に回頭したと推定できるからである。

(三)  およそ自動車運転者としては、法定の事由がない限り、道路の中央から左の部分を通行し、反対方向からの交通を妨げないようにしなければならない(道路交通法一七条四、五項)にもかかわらず、前認定のように板倉定雄は法定の事由がないのに中央線を越えて対向車線に侵入し、その結果本件事故が発生したものであり、しかも衝突まで全く急制動の措置をとつていないことから考えると、自動車運転者の基本的注意義務である前方注視義務も怠つていたとみられるので、本件事故に関し、板倉定雄に過失があつたというべきである。

(四)  そして成立に争いのない乙第一号証、第二九号証及び前記乙第一四号証によれば、勝部幸夫は、道路の中央線左側を走行していたところ、対向してくる板倉車が三七・五メートル前方で突然中央線を越えて自車線に侵入してくるのを見て、直ちに急制動の措置をとつたが及ばず本件事故が発生したことが認められるが、前認定のように本件事故現場の道路は幅員八・三メートルで、片側は約四メートルしかなく、道路南側は側溝をはさんで路面よりかなり高い国鉄用地であり、勝部車は車幅約二・五メートル、車長約一〇メートル、総重量約一六トンの大型車両であるから、左転把して衝突を避けることは不可能であり、又、右転把しても板倉車との衝突を妨ぐことは著しく困難であるばかりでなく、当時の道路状況からみて別の対向車との衝突の危険性が極めて高かつたと考えられるから、勝部幸夫としては急制動の措置をとるしか方法がなかつたことは明らかである。従つて被告会社及び勝部幸夫は勝部車の運行に関して注意を怠らなかつたというべきである。

(五)  勝部車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことは、原告らにおいて明らかに争わないので、これを自白したものとみなす。

(六)  従つて、被告会社は本件事故による損害を賠償すべき義務はないというべきである。

三  よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 生田瑞穂)

米田幸重の給料および賞与額

<省略>

別表(一) 米田幸重実所得額

<省略>

別表(二) 亡板倉定雄の所得額計算表

<省略>

別表(三) 亡板倉定雄の所得額の昭和45年10月1日の現価

<省略>

御船剛報酬および賞与額

<省略>

別表(四) 御船剛所得額(日ノ丸産業株式会社分)

<省略>

別表(五) 亡徳田泰次郎所得計算表

<省略>

別表(六) 亡徳田泰次郎の所得額の昭和45年10月1日の現価

<省略>

別表(七) 徳田博司報酬および賞与額

<省略>

徳田博司所得額

<省略>

亡森松太郎所得計算表

<省略>

別表(八) 亡森松太郎の所得額の昭和45年10月1日の現価

<省略>

亡板倉定雄老令年金計算表

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例